About us 建武館とは


 

 

 

 

 

建武館~始まりとその思い~

 

 

昭和44年私(館長)は川崎に住んでおり、

 

3人の子供たちは小児結核・小児喘息等

 

公害のため全員病院通い。生後3か月の

 

子供は命に係わる程でした。

 

そんなある日、社員旅行でのバスガイ

 

ドの声、「この辺は空気が良く、自然

 

に恵まれ、長生きをする人が多いので、

  

長生郡長生村と呼ばれています。」

 

 

この言葉で早速土地(松林)を購入し転

 

居。間もなく子供たち全員がたちまち

 

健康を回復!

 

その後、地域に恩返しをするつもりで

 

武道を通じて将来を担う子供たち

 

が、粘り強く・信念の強い・優しい人と

 

して、明るく元気に育ってほしいと思い、

 

ビニールハウスの道場を開いたのが始まりでした。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

日本真心流、そのルーツから

 

 

<合気拳法・杖術・棒術の流れ>

 

 

清和天皇第六皇子 貞純親王

 

 

幼児近江江國大東之館 新羅三郎義光

 

 

武田冠者義清

 

 

大東流開祖 大東久之助

 

 

武田流三十五代

 

 

大東流仲興祖 武田惣角正義

 

 

(植芝流開祖 植芝盛平宗高)

 

 

八光流開祖 奥山吉治

 

 

真心流開祖 菅野善光菅原静山(カンノキコウスガハラセイザン)

 

 

新藤藤原磐山(シンドウフジワラノバンザン)

 

 

 


 

 

 

 

<居合道・杖・真剣刀法の流れ>

 

 

影流・陰流の始祖 愛州移香齋

 

  (アイスイコウサイ 1452~1538年没)

  

  室町・戦国時代の兵法家。

 

 

香取神道流開祖 飯篠長威齋

 

  (イイザサチョウイサイ 1387~1488年没)

  

  「香取の剣・鹿島の剣」を元にし、

 

  それまで決まった「型」の無かった

 

 

  武術の世界において、百般に亘る

 

  武道の原型を体系化した。

 

 

飯篠長威齋家直の門人 松本備前守

 

  (マツモトビゼンノカミ 1466~1524年没)

  

  鹿島神宮祝部四宿老の一人。

  

  備前守は一之太刀を頂点とする

 

  武道大系としての鹿島神流を完成。

 

 

新陰流開祖 上泉伊勢守秀綱

  

  (カミイズミイセノカミヒデツナ 1508~1577年没)

  

  秀綱は、愛洲移香の「陰流」に「神道流」

 

  の奥義を加え、青眼の構えを基本とする

 

  「神(新)陰流」を考案。

 

 

柳生新陰流開祖 柳生石舟斎(ヤギュウセキシュウサイ 1527~1606年没)

  

  上泉伊勢守からその道統を継ぎ、流派を大成。

 

 

神影流開祖 奥山休賀齋(オクヤマキュウガサイ 1526~1602年没)

  

  上泉秀綱に師事。徳川家康、22,23歳の頃、急加斎を岡崎へ招いて7か年学んだ。

 

 

神道無念流開祖 福井平衛門嘉平(フクイヘイエモンヨシヒラ 1782年没)

  

 

鐵仲流開祖 赤松独歩齋鐵仲(アカマツドッポサイテッチュウ)

  

 

無想神伝流開祖 中山乙吉搏道(ナカヤマオトキチハクドウ 1958年没)

 

    1902年、免許皆伝を得て根岸の養子となり、神道無念流・有信館を継承。

  

   名人位、昭和の剣聖と謳われ別称「根岸資信」

 

 

真心流開祖 菅野善光菅原静山(カンノキコウスガハラセイザン 1980年没、法名高岳院善光道顕居士) 建射館館長

 

 

新藤藤原磐山(シンドウフジワラノバンザン 1937年~) 現、建武館館長

 


 

 

<綜合武道とは>

 

 

合気拳法に杖道に居合道(真剣刀法含む)と「そんなに多くの技は覚えられない!」

 

と言われる方もいらっしゃいますが、綜合武道ではすべての基本は同じと考えます。

 

その時が素手か刀か、棒かの持ち物に応じて使いこなせる技が違うだけです。

 

入門してきた方にはまず、本人の興味に応じた練習をしていただきますが、

 

練習を通じて次第に「全てに共通」であることがお分かりいただけると思います。

 

 

 

当、日本真心流のルーツである飯篠長威齋開祖の香取神道流は、 軍法・剣術・薙刀・槍などを含む総合武術です。

  

昭和46年に開かれた建武館の門人は、現在900名を超えています。